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日本的RPG――正しい「お使いRPG」のかたち【2】


【1】のつづき


では本作は、その他の“お使いRPG”と一体何が違うと言うのか。

雰囲気が違う、と言ってしまえばそれまでだけど
足りない頭をなんとか回転させてもう少し考えてみたい。

そもそも、一本道の物語をどうしてゲームというフォーマットで表現したんでしょうか。
PS以降のFFシリーズなんかがよく言われることだけど、
ゲームである必要が無い。映画、漫画、あるいは小説だっていいんじゃないか、と。

MOTHER3がチャレンジしているのは、
シナリオそのものや、魅力的なキャラクタ、美麗CGイベント、
練りに練ったゲームシステム、爽快感抜群のバトルシーン…
それら以外の要素をも用いてプレイヤーに物語を「伝える」ということだと思いました。

例えば、①一瞬、間をためなければならないダッシュ移動。
近年の普通のRPGなら、こんなシステムは採用しないでしょう。
主人公を動かすとき、デフォルトでBボタンを押したまま十字キーを操作する人が
多いんじゃないでしょうか。というか、そういう人がほとんどでしょう。
だって、通常の徒歩スピードではじれったいし。
でも本作では、主人公が立ち止まるたびにいちいち
Bボタンを「1秒ほど押して、放す」という操作をしなければならないが、
この操作が実に「走ってる感」を表現するのにピッタリな演出になっている。
「押して、放す」、「ヨーイ、ドン」と。ちゃんと主人公を走らせてる感覚になるのである。

そして、②新たなPSIに目覚める直前の、ダッシュ封印。
これこそホントに鬱陶しい。主人公たちのレベルが上がってしばらくすると
「身体が熱っぽい」との事で、ダッシュ移動ができなくなる。
しばらくすると「○○の熱っぽさはとれていた」のメッセージとともにこの状態は解除され、
その時点でPSIをひとつ獲得する。
ひとつの「成長」のその前に、面倒くさかったりもどかしかったり、イライラさせられる訳です。
現実においても子どもが大人に成長するときは、そんなことの繰り返し。
操作の快適性をあえて捨てて、それを表現している。
物語性の強いRPGにおいて、快適すぎる操作性は
時に、ストーリーの印象を薄めてしまうことがあると思う。

あるいは、③サウンドバトル。
戦闘シーンのBGMのリズムに合わせてボタンを押すと、
どんどん敵キャラに追加ダメージを与えられる、というもの(最大で16ヒット)。
この「リズム」というのが、敵キャラの鼓動になっていて、
(実際に、敵を眠らせるとBGMが静かになって、鼓動=リズムパターンが聞き取りやすくなる)
それに合わせて攻撃を与えるというのは、「生き物と戦ってる感」が
聴覚と触覚を通して実に伝わってくる。

これら①②③の要素に「ボタンを使って操作すること」そのものの持つ、プリミティブで、
しかしながらゲームならではのダイレクトな魅力を、再認識させられてしまいました。
画面効果を用いて視覚から、BGMを聴覚から。
ストーリーを語る多くのRPGがこの2点のみにおいて
あの手この手と表現手段を磨き上げているのに対して、
MOTHER3では、指先を使ってボタンを押すという能動的な動作からも
触覚を通じて僕らにメッセージを送ってくる。

その最たるものが、たったの数分で終わってしまう第6章。
一面のヒマワリ畑に、たったひとり放り出されてしまった主人公リュカ。
唐突な出来事なのでリュカを何処へ向かわせればよいのか分からず、
しばらくはただトボトボとヒマワリ畑の中を歩かされてしまう、あのシーン。
詳しい内容は伏せておくけど、あのシーンを仮にただの映像として表現したとしたら、
あそこまでのせつなさはプレイヤーに伝わってこなかった。
プレイヤーはリュカを「操作させられる」から、
あのヒマワリ畑での出来事のせつなさに激しく心を打たれるのだ。

RPGとしてのゲーム性に広がりがなくシンプルなものを「お使いRPG」と揶揄するのなら、
多角的にプレイヤーの感情に揺さぶりをかけてくる本作は、
今のところまさしく「究極のおつかいRPG」である!!

謳い文句どおり本当に、奇妙で、おもしろく、そしてせつない物語を、ありがとうございました。


『MOTHER3』-2006年/任天堂/ブラウニーブラウン/糸井重里
by only_one_of_them | 2006-09-16 03:37 | ゲーム


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